渡すデータの範囲は、開発を頼む前に「件数・加工レベル・返却時期」の3点を紙に書いて決めてしまうのが答えです。全件を生のまま渡して後から困るか、絞りすぎて開発が止まるかの二択に見えますが、実際は段階を分けて小さく渡し、必要が出たら次の段階に進むやり方で両方を避けられます。この記事では、その段階の切り方と、契約書や仕様書に書いておく文言の具体例をまとめます。
なぜ「渡す範囲」を先に決めるのか
AI の受注開発では、開発会社に業務データを渡す場面が必ず来ます。学習させるため、動作を確かめるため、そもそも業務の中身を理解してもらうため、理由はさまざまです。
ここで起きやすいのが、「とりあえず本番データのコピーを一式お渡しします」という進め方です。開発側は助かりますが、発注側には次の問題が残ります。
– データが今どこにあるのか、社内の誰も把握していない
– 開発が終わっても消された形跡がない
– 個人情報が含まれていたことに、後から気づく
– 委託先がさらに別の会社に再委託していた
これらは技術の問題ではなく、取り決めの問題です。個人情報保護法では、個人データの取扱いを外部に委託する場合、委託元に委託先の監督が求められる旨が定められています。「渡しっぱなしで知りません」は制度上も通らない、と考えておくのが安全です。
逆に、警戒しすぎて何も渡さないと、開発側は想像で作るしかなくなります。できあがったものが現場の実態と合わず、検収でやり直しになる。これも同じくらい損です。
だから「渡す/渡さない」の二択ではなく、段階で考えます。
渡すデータは何段階に分ける?
実務で使いやすいのは、次の3段階です。開発の進み具合に合わせて、必要になったときだけ次へ進みます。
| 段階 | 渡すもの | 目的 | 量の目安 |
|---|---|---|---|
| 第1段階 | 項目名の一覧と、手で作ったダミーデータ | 画面や項目の設計 | 10〜30件 |
| 第2段階 | 実データを加工したもの(氏名・連絡先などを置き換え) | 動作確認、精度の確認 | 100〜300件 |
| 第3段階 | 実データそのもの(限定環境内) | 最終検証、本番移行 | 必要最小限 |
第1段階で十分進む案件は、思っているより多くあります。「どんな項目があって、どんな値が入るか」が分かれば、画面も処理の流れも設計できるからです。実データが要るのは、AI の判定精度を測る段階からです。
精度の確認に必要な件数については、AIの検収は自社データ100件で足りるで扱っています。闇雲に全件を渡すのではなく、確認したい観点ごとに数十件ずつ用意する考え方です。
ダミーデータの作り方
第1段階のダミーは、現場の担当者に作ってもらうのが早道です。たとえば次のような場面です。介護事業所で記録システムを作るとき、記録担当者に「よくあるパターン」「たまにある例外」「毎回手が止まる面倒なケース」の3種類を、それぞれ5件ずつ架空の名前で書いてもらう。これだけで、開発側は業務の輪郭をつかめます。
注意したいのは、実在の人物の記録をそのまま名前だけ変えて出すのを避けることです。珍しい病名、特徴的な出来事、日付の組み合わせから、誰のことか分かってしまう場合があります。架空の内容を一から書くほうが、結局は安全で速いです。
加工はどこまでやればいい?
「匿名化すれば安全」とよく言われますが、言葉の意味を整理しておきます。
– 仮名加工情報: 他の情報と照合しない限り特定の個人を識別できないように加工した情報。個人情報保護法に定義があります。社内での分析などに使う想定で、第三者提供には制限があります
– 匿名加工情報: 特定の個人を識別できず、かつ元の個人情報を復元できないように加工した情報。こちらも同法に定義があります
– マスキング: 氏名や電話番号などを「***」や別の文字列に置き換える、実務上の作業のこと。法律用語ではありません
言葉の使い分けは大事ですが、発注側がまずやるべきは、もっと手前の作業です。それは項目の棚卸しです。
渡そうとしているファイルの列(項目)を一覧にして、1行ずつ次の3つに仕分けます。
1. 渡す必要がない — 削除する
2. 渡すが、中身を置き換える — ID化、年齢を年代に丸める、など
3. そのまま渡す — 業務の判断に直結する項目
やってみると、1に入る列が意外と多いことに気づきます。緊急連絡先、担当者のメールアドレス、過去の請求履歴。AI に文章を要約させたいだけなら、どれも不要です。
置き換えのやり方
2に仕分けた項目の処理は、次のような手があります。
– 氏名 → 通し番号(U001、U002)に置き換える。対応表は社内だけで保管する
– 生年月日 → 年代(70代)または年齢だけに丸める
– 住所 → 市区町村まで、または「同一市内/市外」の区分だけ
– 日付 → 相対日数(初回から何日目)に変換する
– 固有名詞 → 施設名や病院名は「A施設」「B病院」に統一
ここで一つ落とし穴があります。自由記述欄です。記録の本文に「◯◯さんの娘さんが来訪」のように氏名が紛れ込んでいることがあり、列単位の処理では落ちません。自由記述を渡すときは、目視で確認する時間を見込んでおくか、第1段階のダミー作成に切り替えるのが現実的です。
返してもらう時期は、いつどう書く?
返却・削除の取り決めは、契約書の中でも後回しにされがちです。しかし、ここを書いておかないと、プロジェクトが終わった数年後にデータの所在が分からなくなります。
書いておく項目は次の通りです。
| 項目 | 書き方の例 |
|---|---|
| 保管場所 | 委託先が指定する環境(具体名)に限る。個人端末への保存を禁止 |
| 保管期間 | 本件業務の完了日、または契約終了日のいずれか早い日から30日以内 |
| 処理方法 | 返却または消去のいずれかを、発注者が選択する |
| 報告 | 処理完了後、書面または電子メールで通知する |
| 対象範囲 | 複製物、バックアップ、検証用の中間ファイルを含む |
| 再委託 | 事前の書面承諾を要する。承諾時は再委託先にも同条件を課す |
実務で抜けやすいのは、表の下2行です。開発の途中で作った加工済みファイルや、テスト用に切り出した一部データは「本番データではない」という理由で残りがちです。「複製物および派生物を含む」と一文入れておくだけで、相手の認識が変わります。
もう一つ確認したいのが、AI サービス側の学習利用です。開発会社が外部の生成 AI サービスを組み込む場合、そのサービスの規約で入力内容が学習に使われるかどうかが変わります。「御社が使う外部サービスの名称と、そのプランで入力データが学習に使われない設定になっているか」を、仕様書の確認事項として聞いておきます。この観点は規約改定の通知が来たら見る3か所 — 学習・保存・商用利用でも整理しています。
発注前に社内で決める5項目
ここまでを、発注担当者が先に決めておく形にまとめます。打ち合わせの前に、A4一枚にしておくと話が早く進みます。
1. 渡す対象の業務範囲 — 今回の開発に関係する業務はどれか。関係しない部署のデータは渡さない
2. 第1段階で渡すもの — 項目一覧とダミー何件か。誰が作るか
3. 第2段階に進む条件 — 「設計の合意が取れたら」など、進む基準を決める
4. 加工の担当者 — 社内の誰が、どのツールで加工するか。外注しない
5. 返却・削除の期限と確認方法 — いつまでに、誰が報告を受けるか
4つ目を社内でやる点は強調しておきます。「加工も御社でお願いします」と頼むと、加工前の生データを渡すことになり、本末転倒です。加工作業が大変なら、第1段階のダミーで進める範囲を広げるほうを検討します。
また、データを渡す前に社内の承認を誰から取るかも決めておきます。個人情報を含む場合、現場判断だけで外部に出すのは避けたいところです。
まとめ
– 渡す範囲は「渡す/渡さない」ではなく、3段階(ダミー → 加工済み → 実データ)で設計する
– 第1段階のダミーだけで進む範囲は想像より広い。現場担当者に10〜30件書いてもらうところから始める
– 加工の前に項目の棚卸しをする。「渡さない」に仕分けられる列が多いことに気づく
– 自由記述欄は列単位の処理で落ちない。目視の時間を見込むか、ダミーに切り替える
– 契約書には保管期間・処理方法・報告・複製物の扱い・再委託の5点を書く
– 加工は社内でやる。外注すると生データを渡すことになる
個人情報保護法の具体的な適用については、取り扱うデータの性質によって判断が分かれます。個人情報保護委員会が公表しているガイドラインやQ&Aを確認し、判断に迷う場合は専門家に相談するのが確実です。
渡す範囲を先に決めておくと、開発会社との会話も具体的になります。「このデータは出せません」ではなく「第1段階ではここまで、設計が固まったら第2段階に進みます」と言えると、相手も段取りを組みやすくなります。制限ではなく、進め方の提示として伝えるのがコツです。
この記事は、AI で下書きを作り、益山康秀(運営者)が内容を確認して公開しています